|
|
|
 |
 |
仙台人に「たなばたさん」の名で親しまれている七夕祭り は、もともと中国に源流を持ち、日本では盆行事と関わり合い 発達してきました。嘉永年間の「仙台年中行事大意」には、「六 日夜より、篠竹に式紙短冊くさぐさの形を切って歌を書き、ま たは提灯を灯し、七日の朝評定川または支倉川、澱川へ流す」 とあって、この頃には盆行事として七夕流しの習俗が城下に定 着していたようです。
仙台七夕が七月六日に固定したのは、六 代宗村の十八世紀中期からで、月遅れとなって今日までこの日 が受け継がれています。 明 治維新の変革は、幕藩時代の遺物として、華やかだった仙 台まつりとともに、七夕を衰退させました。
その後も、明治三 十年代以降は衰退に拍車がかかりましたが、幸い、仙台七夕 は、町屋、屋敷町の家々で女の子の祭りとして守られてきまし た。 仙 台七夕には七つ道具といわれる独自の飾り付けがあります が、その短冊、吹流し、千羽鶴、紙衣、巾着、投網、屑籠は、 明治期に成立したものです。
昭和二十一年、焼け跡がまだ残る東一番丁にゆれる五十二本 の竹飾り。終戦後、七夕の復活は市民の心に希望の灯をともし ました。そして翌昭和二十二年の天皇陛下の仙台巡幸は、平和 と仙台発展のシンボルとして、仙台七夕を一気に復活させまし た。 三 十年代、四十年代と高度成長の波に乗り、仙台七夕は豪華 絢爛な祭りとして成長してゆきました。
四十六年からは「動く 七夕」が定禅寺通りを会場に開催されることになりました。 観 光七夕が何百万人という人を集め年々華やかになっていく 一方で、一戸一本の 原則を守り、毎年、 手づくりの伝統七夕を作り続けている商 店もあります。市街 の過密化とともに、 瞬く星々は見えなく なっても、七夕のロ マンはそうした人々 の心に生き続けてい るのです。 |
|
|
|