おおまち商店街の歴史 

 伊達政宗公が家康公から仙台の地に築城を許可されたのは「関ヶ原の戦い」から日も経ない1600年10月。同年12月24日には仙台城築城が開始された。また以前、この地を統治していた国分氏の千代城が川内(センダイ)地区にあったことから、地名を現在の「仙台」に改称している。

 城下町建設にあたっては、市街地中心に商人町、町方を配置する慣わしになっていて、代々伊達家に従って来た御譜代町が中心部に割り当てられた。
 大町は他の五町と共に伊達氏に従ってきた御譜代町の中でも筆頭町になっており、「芭蕉の辻」を中心にお城に一番近いメインストリートに位置され、「おおまち商人」達が伊達藩62万石城下町の経済の基礎を築いたのです。
仙台七夕の基礎をつくる。
 昭和の初期、下火になった七夕行事を盛大にするため、仙台商人の意気を見せようと、おおまち町内の有志が商工会議所に七夕の開催を提唱し、町内一斉に七夕を飾り付けて、仙台名物の七夕を完全復活させた。以後の七夕飾りコンクールでは長年、上位を維持している。
廻る元禄寿司。
 おなじみの動くカウンター、コンベア式「廻る元禄寿司」の発祥は、おおまち商店街です。昭和42年8月にお好み寿司が気軽に食べられるようにと、江川金鐘氏が考案したものです。
 当商店街は、仙台駅の西側に広がる中心市街地の真中に位置し、全長200mの地区内はいつも多くの人々の通行があります。
 法人化は昭和39年12月で、設立後、直ちに全蓋アーケード建設に着手し、翌年5月に完成しました。その後アーケードは昭和52年に新装され、昭和60年には「マーブルロードおおまち」としてリニューアルしました。平成8年3月には、パイプオルガン、オーロラ、ステンドグラスのある新アーケードに生まれ変わっています。